モノノナマエ

 彼女はゲームセンターで僕が取ったぬいぐるみ全てに名前を付けていた。ピンクのくまには「ローズ」、耳の垂れたうさぎには「キャロット」。

 なんだ、可愛らしいじゃ無いか。誰に話をしてもそういった回答に辿り着く。そう、ぬいぐるみだけの話ならまだ良いのだ。

 この前買った全自動洗濯機は即決で「ノア」と呼ばれていた。他にもテレビは「ヨーゼフ」、掃除機は「タクト」。彼女は自分の部屋のありとあらゆる物に名前を付けていた。

 僕がそんな彼女の部屋へ転がり込んで少し経ったある日、遂に彼女は尋ねてきた。

「ねえ、あなたにも名前を付けて良いかしら?」

「何を言ってるのさ。僕は僕じゃないか」

 すると、彼女はきょとんとした表情で見つめ返して来た。

「そうよ。でもあなたに名前なんて無いわ。あなたは『僕』であたしは『彼女』。それだけでしょう?」

 彼女に言われて初めて僕は、僕が『僕』でしかない事実に気付いた。

「神様はあたし達に名前を与えなかった。だから同じ想いが繰り返されないようにあたしは名前を付け続ける。今度はあたしが神様になる番なの」

 ふふっと笑う彼女の横顔は長い黒髪の影になり良く見えなかった。

「あたしは今まであなたに名前を付けなかった。だけど、最近のあたしはあなたに名前を付けたくて仕方が無いのよ」

 彼女の申し出を僕は丁重に断った。僕は彼女の事は好きだったが、彼女に支配されるのは好きでは無かった。

「じゃあ、あなた、あたしに名前を付けてくれる?」

 それも丁重に断った。僕は彼女に対してそのような責任を負う覚悟は出来ていなかった。

 僕達は途方に暮れた。お互い名前の無いまま、名前で溢れるこの部屋に存在していた。しかし僕達よりも、名前を持っているくだらない物達の方がはっきりと輪郭を持って存在していた。

 名前は自分で付け叫んでも意味が無い。誰かに呼んで貰って初めて名前はその役割を果たす。孤独から僕等を解放して、新たな孤独を僕等に与える。それは各自の存在を明確にする為に必要な儀式のはずだった。名前の無い僕等を包む空気は、部屋の中に侵入してきた夕焼けを食べ尽くすオレンジ色に染まっていった。

 誰か、僕と彼女の名前を教えてくれませんか?

 僕と彼女の存在が消えてしまないうちに。

 神様が果てても続いている、神様が忘れてしまった僕達の未来は、風に吹かれていつか消滅するだろう。その前に。

 誰か、僕と彼女に名前を付けてくれませんか?


<了>