子連れ句会 2・山眠る頃(ネットプリント)感想

以前よりその活動に興味を持っていた「子連れ句会」が、2020年末にネットプリントを配信された。

4日に滑り込みでプリント出来たので、俳人1名につき1句を採り上げ、感想を記していきたいと思う。


傘をさすほどではなくて花野かな  西川火尖

「これくらい大したことはない」という「慣れ」とも「強がり」ともとれるが、ここは「花野」である。傘を差すことに煩わされることなく、目の前の花野をありのままに感じたいという願い。一方で、花野に心奪われるが故に自身が濡れていくことを気に止めない憐れさ。小雨が降っていることを直接言及せずに、しっかりと読者に感じさせる巧みな句。冷たい雨も美しい花野も、たしかに作者の現実だ。


水澄む日子どものふりを練習す  神谷美里

子どもには子どもとして振る舞わなければならない場面が存在する。求められた役割に応えたいという一心で「ふり」の練習をする純粋さ。きらきら輝くだけではない、幼少期の記憶と重なった。それは今でもわたしの中に根付いている。……いや、自分のことはさておき。わたしは、わたしの子どもに同じような思いをさせていないだろうか。今までの息子との関係を省みる機会を与えてくれた一句。


冬枯にヘッドライトは流浪する  結

一読して格好良さに惚れた句。ハードボイルドな感じが堪らなく好きだ。特に「流浪する」が良すぎる。「流浪の民」という曲が思い起こされた。「冬枯に」「ヘッドライトは」といった助詞の使い方も巧い。理想郷を求めて彷徨い続けるヘッドライトは、いつか自分自身が希望の光であることに気づくのだろうか。


着膨れを脱がせなほ在る遠さかな  阿久津歩

親子の関係を詠んだ句だと思った。寒くないようにと子を大切に思う気持ちは「着膨れ」という季語ひとつで確かに伝わってくる。しかし大切にすればするほど、子が遠い存在に思えてしまうことがある。それは相手が子でなくとも対人関係ではよくあることだ。「着膨れを脱がせ」たときに生じる物理的な距離の近さと心の遠さの対比が見事。可愛い愛しいだけではない親の子への愛情を感じる。


ファスナーの噛み合ふ音も今朝の冬  梅田実代

慌ただしい朝、出掛ける準備中。ファスナーの音から冬の訪れを感じる作者の研ぎ澄まされた感覚にまず感服。ただのファスナーの音ではなく「噛み合ふ音」としたところに作者の心の持ちようを感じる。ハッとしたのち、すこしホッとする。季語「今朝の冬」が句全体をやさしく包み込んでいる。


寒昴ブラジルの鶏揚げてをり  三倉十月

取り合わせにとても惹かれた。離れすぎと言う人もいるかもしれないけれど、わたしは一周回ってぴたりとハマっているように感じた。「ブラジルの鶏」を揚げている場所はおそらく日本の家庭の台所なのだけれど、地球規模のスケールの大きさが感じられる。日本と真反対にある情熱的な国・ブラジルの名を出すことで「寒昴」が一際鋭く冷たく輝いている。


人類にどんぐり拾うプログラム  諸星千綾

どんぐりを見ると拾いたくなるのはそういう理由だったのね!と思わず納得。プログラムされているのなら仕方ないな、と諦めの笑みを浮かべながらどんぐりを拾いたくなる。子どもなどに特定の存在に限定せず「人類に」と大きく出たところが素晴らしい。何度でも読みたくなる、やさしく寄り添ってくれる面白さがある。


消防車色の毛糸で編む帽子  後藤麻衣子

なるべく「子」を使わない吾子俳句を詠みたいと日々奮闘しているが、これには脱帽。子の影響で物の見方や表現の仕方が変わるというのは育児あるあるなのだろうか。「赤と言えば消防車の色だよね」という暗黙の了解が愛しい。普段の何気ない親子の会話まで見えてきそう。子を思いながら編む消防車色の毛糸は、もしや運命の赤い糸ってやつではないだろうか。


はつふゆの耳はむといふ愛し方  松本てふ子

こそばゆいくらいに愛を感じる一句。「はつふゆ」「はむ」の表記をひらくことにより、より「h」の子音が鮮明に感じられる。それは韻を整える以上に、作者の息遣いをリアルに感じられる効果があるように思う。前のめりで、行き過ぎるくらいの愛情。でも「食べることは愛すること」という考えがわたしの心の何処かにはあって、とても共感出来た句だった。


眠る子のノオトと小春日のラヂオ  榊倫代

ラジオを流しながら勉強をしていたのだろうか。「小春日」にうとうとして、ついには眠ってしまった子を見守る作者。ノートに何が書かれているのか、ちゃんと勉強しているのか。思わず確認したくなるけれど、そこはぐっと我慢。なんてストーリーも浮かぶ。なんとも微笑ましい光景。残された「ラヂオ」の音だけが響く世界にやさしい光が差す。


鯛焼きとこの街隔つ紙袋  芹沢雄太郎

「鯛焼き」をこんな風に思ったことはなかったので驚いた。でも言われてみれば、そうだ。賑わう街と鯛焼きは、薄い紙袋一枚によってくっきりと世界が分けられている。鯛焼きの孤独、とでも言うべきだろうか。そしてその鯛焼きの孤独は、自身の孤独にも繋がっている。いっそのこと、わたしも紙袋を被れたら楽になるのかもしれない。そんなことを思った。


肋骨のたぶん平行木の葉降る  上山根まどか

「並行」というきっちり定義された事柄に対し、「たぶん」という曖昧さを持ってくる。その力の抜き方がとてもうまいと思った。「肋骨」の強く固いイメージに「木の葉降る」というやわらかく繊細な季語という比較も良い。なぜか無性に切なく、きゅうっと胸が締め付けられた。理由はうまく言えないけれど、とても好きな句。


山眠る舌にティッシュのほの甘く  箱森裕美

ティッシュのほの甘さを知っている人、というだけで信頼してしまいたくなる。その秘密を共有しているという親密さに「山眠る」という季語。そのそっと寄り添ってくれている感じがあたたかい。誰にも言えない、言うほどのことでもない秘密を眠っている山も持っていると思う。どうしてティッシュが舌に触れたのか。それを聞くのは野暮というものだろう。


以上、13名の掲載句より、わたしのイチオシの1句をそれぞれ挙げてみた。

好きな句が多かった。

読んでいる最中も、その後感想を書いている時も、とても楽しい時間だった。

そして読むまでの時間も楽しむことが出来た。

ネットプリントという発表形態は、手に取るまでのわくわくをこんなにも増長させてくれるものなのかという発見もあった。

「子連れ句会」にいつか参加できたらいいな。

素直にそう思えた、素敵な作品集だった。


笠原小百合 記